親鸞の曾孫
西暦1262年(鎌倉時代) |
西暦1300年(鎌倉時代) |
西暦1349年(南北朝時代) |
西暦1351年(南北朝時代) |
西暦1419年(室町時代) |
西暦1429年(室町時代) |
西暦1453年(室町時代) |
西暦1463年(室町時代) |
西暦1494年(室町時代) |
西暦1569年(室町時代)
天正元年には門跡寺院となり菊紋の使用が許可されました |
西暦1622年(江戸時代) |
西暦1654年(江戸時代) |
西暦1726年(江戸時代) |
西暦1789年(江戸時代) |
西暦1809年(江戸時代) |
西暦1844年(江戸時代) |
西暦1846年(江戸時代) |
西暦1885年(明治時代) |
西暦1896年(明治時代) |
西暦1969年(昭和時代) |
明治以降の宗勢 |
明治二十九年西本願寺明如上人の次男が十五才で入寺して孝慈と名乗りました。
孝慈上人は大正から昭和の初期に大活躍をされて、九州各地、広島、北海道などにご縁を慕って多くの寺院が誕生し、今日の真宗木辺派の宗勢を形成しています |
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二十代 大興孝慈上人
木辺孝慈
(こうじ) |
1881~1969/真宗木辺派錦織寺(きんしょくじ/滋賀県野洲市)第20代門主/
旧姓名・大谷尊行/西本願寺21世法主・大谷光尊次男/男爵/
西本願寺筆頭連枝であったが、明治27年木辺淳慈の養子となり、
木辺派を継いで孝慈と改名。28年門主(真宗木辺派管長)となった。29年男爵。
生来の学問好きであり、多くの仏教学者について、仏教教義を学んだ。
大正2年、広島へ巡教、11年には真宗開宗七百年記念伝道に出るなど地方巡教の旅を続けた。また、荒廃した錦織寺再興のため維持会財団を組織、殿堂を修復した。
著書に「宗祖の自行」「教行信証の大意」「御親教集」などがある。
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浄土真宗本願寺派第21世宗主大谷光尊(こうそん)浄土真宗本願寺派本願寺第22世宗主 大谷光瑞(こうずい)長男
真宗木辺派錦織寺(きんしょくじ/滋賀県野洲市)第20代門主木辺孝慈(こうじ)次男 大谷光尊次女九条武子 |
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西本願寺21代 光尊 |
西本願寺22代 光瑞 歌人九条武子の兄。 |
真宗誠照寺派、真宗木辺派
西本願寺21代大谷光尊の次男は真宗十派の一つ、
真宗木辺派錦織寺(きんしょくじ)二十代門主・木辺孝慈である。
木辺孝慈(こうじ)は、西本願寺21世大谷光尊の次男(大谷光瑞の弟)であったが、木辺家に養子に入り、真宗木辺派を継ぎ、明治29年に男爵。
すなわち、お東さんとお西さんの繋がりをここに見る事ができる。
また、他にも、九條家を通しての繋がり等もある。
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二十一代 宣慈上人 西暦1990年
木辺成磨(きべしげまろ)西本願寺二十一代門主大谷光瑞上人の甥 |
木辺宣慈
(せんじ) |
1912~1990/真宗木辺派錦織寺第21代門主、特殊光学研究所所長/本名・木辺成麿/
子供の頃から天文学に興味を持ち、住職修行の傍ら、戦争中、陸軍航空技術研究所の嘱託となり、日本でも数少ない天体望遠鏡の反射鏡磨きの専門家に。
世界でも五指に入る名人となり、“レンズ和尚”の異名で知られ、特殊光学研究所所長もつとめた。
昭和44年門主を継ぐ。昭和45年、吉川英治文化賞(第4回)受賞。
長男・木辺円慈が第22代を継ぎ、現門主をつとめる。 |
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